1982年の西武百貨店のキャッチコピーを考察

キャッチコピーの事例を取り上げる第38回は、1982年の西武百貨店のキャッチコピーです。前回に続いて、今回も西武百貨店の有名コピーです。
おいしい生活。
コピーライターは、糸井重里さん。
前回も紹介しましたが、糸井重里さんご自身が、ほぼ日(旧名称:ほぼ日刊イトイ新聞)の『まずは状況から話そうか。糸井重里のコピー10』というコンテンツで、このキャッチコピーについて語っています。(インタビュアーは、有名コピーライターの谷山雅計さんです。)
さて、私なりに考えたことを書いてみたいと思います。
まず、上記コンテンツの糸井重里さんの発言を引用します。
「……「おいしい生活。」のインスパイアは、
『甘い生活』っていう映画のタイトルですよ。
それがなければ作らなかったんじゃないかな。
本来「生活」って言葉はダサいんです。
(……中略……)
「生活」っていうダサい言葉が入ることで、
何かニュアンスを与えてくれました。」
(ほぼ日の上記コンテンツより)
「生活」という言葉について、「ダサい言葉」と言っています。糸井さんにとっての「ダサい」がどういう感覚なのかわかりませんが、私の中に浮かんできたのは、〝汗くささ〟みたいなものです。
「生活」という言葉には、キレイとかオシャレとかカッコイイとか、そういう洗練されたものだけではない、生きていくことの〝現場感〟というか、そんな汗くさい、泥くさい感じがたっぷりと混じり込んでいる。だからそのぶん、自分との距離が近い密着感のある、〝まるごと自分ごと〟みたいな印象を受ける言葉なのかな、と。そんなイメージを私は持ちました。
その〝現場感〟に、「おいしい」という理想のようなものが付与される。「生活」という言葉が「ダサい」からこそ、「おいしい」という理想を表す言葉が光るのではないでしょうか。もし、「おいしいライフスタイル」みたいな感じだったら、「おいしい」が生きてこない感じがするんですよね。むしろ言葉自体が軽くなってしまう。
喉が渇いている時に飲む水が格別であるように、「生活」という言葉によって、受け手の中に汗をかいているような日常感覚が無意識的に芽生えるからこそ、「おいしい」という言葉が心に染み込む。そして、その日常をうるおすものが、なにかしら「百貨店」にはあるというイメージの喚起。文字通り、多様な商品があるわけですからね。こうして、デパートを〝生活に理想的なうるおいをもたらす場所〟として位置づける。生活は「ダサい言葉」だと聞いて、このようなことを私は考えました。
当コンテンツの目的はキャッチコピーの事例を集めて、キャッチコピーの型や作り方を自分なりに考えることですが、今回は、こうまとめたいと思います。一方に〝現場感・密着感〟のある「ダサい言葉」を用いて、もう一方の言葉を光らせる、そんな言葉の組み合わせを考えてみる。抽象的に言うのは簡単ですが、実際の組み合わせとなるとなかなか思い浮かびませんね。そんな時には、上記コンテンツのお話にもあったようにインスピレーションを与えてくれる言葉を探すのが良さそうです。